例えそれがどんな内容であっても、普段と違う事をするのには、多かれ少なかれ勇気がいる物だ。

消す、打つ、消す。

ベッドの上で携帯の画面とにらみ合って、は悩んでいた。
ディスプレイにはメール作成画面が映し出されている。その宛先入力部分には、高尾和成の文字。すでに本文は入力済みだ。
けれどは悩んでいた。送信ボタンを押すのをためらっていた。
こうしている間にも時間は過ぎていく。


「……どうしよう」


無意識に呟いた言葉に、返事など帰ってくるわけもなく。
時計の秒針が、カチカチと音を立てて彼女を急かす。
は小さくため息をついてから、ようやく送信ボタンを押した。彼女は結局、いつもと変わらないメールを送ったのだった。
肩を落としつつ、今までに高尾から送られてきたメールを見返す。彼のメールは絵文字やデコメールで装飾され、とてもカラフルだ。
一方、が送るメールは文字ばかり、装飾と言えるものは顔文字くらいか。彼女はデコメどころか、絵文字すらろくに使った事がない。そんな彼女が、なぜ絵文字を使ってみようと思ったのか。
メールの相手である高尾に言われたからではない。友人に言われたのだ。


「たまには絵文字も使ってみたら? ハートとか、高尾君喜ぶかもよ」


昼休みに言われたことを思い出す。友人はにやにやと楽し気にそう言った。冗談半分だったこの言葉が、今現在を悩ませているなど、彼女は考えもしなかっただろう。
彼女はが高尾に好意を寄せている事を知っており、メールでやり取りをする程度の仲から一向に進展しない二人の関係にもどかしさを感じ始めていた。
メールに絵文字をつける事で、彼は喜ぶのかという点についてが問うと、彼女は「多分喜ぶ」という曖昧な返事を寄越した。

突然いつもと違うことをしたら、どうしたのかと不振がられはしないだろうか。そんな考えが邪魔をして、挑戦しようともなかなか難しい。正直言うと、どんなタイミングで使えばいいかも分かっていない。
がもう一度息を吐いたその時、携帯が鳴った。高尾からの返信だ。彼のメールはやはり可愛らしかった。
さんオレンジジュース好きなんすか?」という文章の後に、首をかしげているくまのデコメール。

オレンジジュース。確かにが好んで飲んでいる物だ。学校の自動販売機でよく購入している。

そうか、こういう時に使えばいいのか。は携帯のキーボードに手をかけた。
ボタンを押せば、くるくるとディスプレイの文字が変化していく。
打ち終わった文字を見返してみる。これなら自然だし、おかしくはないだろう。一度小さく深呼吸、そして送信ボタンを押した。

送信完了しました。

数秒後、ディスプレイに表示された文字を見て、は一気に脱力する。枕に顔を埋めたのもつかの間、手早くお風呂へ入る準備をして、携帯から逃げるように部屋から出ていった。



*



丁度その頃、高尾はから届いたメールを開いて、小さく興奮していた。
その目に映るのは「好き」の二文字と、その後に続くハートの絵文字。そして改行の後、「高尾くんは何が好き?」と続いている。
いつも通りの本文と顔文字のモノクロなメールも彼女らしくて好きだが、そこに少し色が加わるだけでこんなに印象が変わるものなのか。

彼女が好きだと言っているのはジュースの事だ。わかっている、その言葉が高尾自身に向けられたものではないことくらい。
こんな単純なことに喜んでいる事がなんだか少し情けなくて、高尾は下唇を噛んだが、その口角は正直だった。


送信ボタンを押して、返信元のメールをもう一度読み返した。
慣れた手つきでボタンを押せば、指示された通りに画面が変わる。メールに南京錠のマークが付いたのを確認して、高尾は携帯を閉じた。




E-heart
(効果の程は?)


*121027


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