ベルフェゴールは、何度考えても理解できない。 は何故、此処で人殺しの仕事をしているのか。

弱いのに。




控えめなノック音に、彼は上体を起こした。眺めていた雑誌を放置して時計に視線をやる。どうぞ、彼は言った。
確認せずとも、彼女以外ありえない。そろそろ来る頃だろうと思っていたのだ。

ベルの名を呼ぶ の表情も、声も、一見いつもと変わらない。
けれどベルはそうは思わなかった。あぁ、疲れてるな。彼の目に彼女はそう写った。

は静かに扉を閉めて、部屋の奥へと歩を進める。

すっかり消して歩くことが癖になった足音。ほんの僅かな音さえも、ふかふかとした上質な絨毯に吸い込まれていく。
床にはベルの私物が散乱しているが、彼女は慣れた様子で上手く物を避けている。
そうしてベルのすぐ目の前まで来た は、彼の肩に顔を寄せた。仕事終わりにすぐ、この部屋へ向かってきたのだろう。血の臭いがふわり、ベルの鼻を掠めた。
二人はただお互い静かにしている。触れているのは肩と額だけ。


「今日は三人」


はっきりと聞き取れる、けれど決して大きくはない声で、 は言った。


「そんだけ? よかったじゃん」
「うん、」


消え入りそうな返事をした後、 は黙った。
五分、たった五分の間そうして、 はベルから離れた。


「シャワー浴びて寝る……ありがと」
「ん、おやすみ」


こんな風に、 は任務に行った日に必ずベルの所へ来る。
する事は毎回同じ。その日殺した人間の数をベルに報告し、沈黙があって、五分程経つと彼女はベルに礼を言って部屋に戻っていく。
ベルが任務で部屋にいないとき、 は彼が帰ってくるまで前で待っているし、どちらかが遠出しているときは電話を使う。
こうすることで、なにかが変わっているのかと問われれば微妙なところだ。

ベルにはこれをする意味がわからなかったが、とりわけ煩わしいと感じたこともなかった。
任務の度に落ち込むくらい殺人を犯すのが嫌なら、こんな仕事などさっさと辞めてしまえばいい。と、ベルそう考えている。
けれど、たとえ彼がそう言っても、 は困ったように口をつぐんで、首を横に振るだけだろう。
がボスであるXANXUSの役に立ちたいと思っているのも間違いないのだ。
彼女は人数の事以外ほとんどなにも言わないので、実際に仕事についてどのように考えているのかは分からない。
ベルも、彼女が言わないことを無理に聞こうとは思わなかった。だからできるのは推測まで。


いつから始まったんだっけ。


ぴったりと閉じたドアを見つめながら、ふと、ベルは記憶を遡る。思えば、ベルと はもう十年以上の付き合いだ。
これまでにあった些細な出来事は簡単に思い出せるのに、始まりの日だけは上手く思い出せなくて、ベルは考えるのをやめた。

正直、彼にとって始まったのは何時だとか、どんな風に始まったかなんてどうでもいいのだ。
そもそも、ベルは人を殺すことに楽しみを見出だして自らこの仕事を選んだ。故に がどんな気持ちで人を殺めているかなんて、理解できるはずがない。
ただ、ああする事で の気が少しでも楽になるなら、ベルはそれで十分だった。



*



なんでだよ、ベルの頭はその言葉で一杯だった。
時計はついさっき午前三時を告げたところだ。けれどいつまでたっても は来ない。もうとっくに帰ってきている時間なのに。

メールをしても返事はないし、電話にもでない。
待ちくたびれて、遂にベルは部屋を出た。イラつきを隠す気なんて微塵もない足取りで進む。来ないのならば自分が行けばいい。

部屋の前に立ち、二回、ノックをする。返事はない。
ノブに手をかけると、鍵はかかっておらずドアは簡単に開いた。
ベルは久しぶりに彼女の部屋に足を踏み入れた。


、いる?」


やはり返事はない。
ベルは構わず、部屋を進む。いつきても変わらない、殺風景な部屋。
部屋の主は、奥のベッドで布団に包まっていた。


「寝てんの?」
「……ベル?」
「そうだよ」


ベッドに近づくと、布団が揺れて がゆっくり顔を出した。


「何で今日は部屋来ねーの」
「臭い、酷いから……」
「臭い?」
「……洗っても全然、消えなくて」


は薄く笑っていた。
誰に向ける事もできない怒りを、悲しみを、上手く処理することができないのだろう。
口角だけをゆるく上げて、糊やセロテープで貼りつけたような薄っぺらい笑みを浮かべている。

はベルを見ない。布団から投げ出した手の先のどこか遠くを見つめていた。
乾かしていない髪が、枕を濡らしている。
なんだか彼女が泣いた跡の様に見えて、ベルは目を逸らした。柔らかいベッドの縁に腰を下ろす。
が言うような血の臭いなんて全くしない。代わりに、彼女のシャンプーがほんのり香った。


「何か言いたいことねーの? ないなら別にいいけど」
「……聞いてくれるの?」
「今更何言ってんだよ、馬鹿じゃねーの」
「そっか、そうだね」


は自嘲的な笑みを漏らし、恐る恐るといった様子でベルの右手に自分の左手を重ねた。いつもの肩の代わりだろうか。
は小さく息を吸い込んで、少しずつ話始めた。


「今日はとにかく、人が多くて……」


地図には載っているものの、ほとんど名の知れていないような田舎にある弱小ファミリーの殲滅。中には子供も年寄りもたくさんいたらしい。
今日は殺しすぎた、と言う の声は震えている。


「だから少しね、少しだけ、疲れたの」


一転して はへらりと笑った。
なんつー顔してんだよ。ベルは喉まで出かかったその言葉を、結局言うことが出来なかった。

彼女がベルの部屋に来なかったのは、後にも先にもこの一度きりで、次の日も、また次の日も、 はそれまでと同じように任務帰りにベルの部屋にやって来た。どんな心境の変化か、ほぼ毎日。
することは相も変わらず、その日殺害した人数を報告して、礼を言って自室に戻っていく。

そして一ヶ月ほど経ったある日の事。

その日の の声は柔らかく、穏やかな笑みさえ口元に携えていた。ベルはその違和感に、密かに眉を潜めたが、 はそれに気づくことなく近づいてきた。
いつも通り、こつん、と額をベルの肩に当てたかと思うと、 はそのまま手をベルの背中側まで回す。初めての事にベルは戸惑ったが、 は気にせずに口を開いた。


「今日、任務前にルッスーリアさんにお茶に誘われたの」


明るい声。
彼女のこんな声を聞いたのは何年ぶりだろうか。ベルは相槌を打ちながら、 の話を聞いていた。
そのうちいつの間にか、しっかりと の背に手を回して。

女の話は次から次へとぽんぽん飛躍するものだが、本当に はその日よく話した。どの話にも、幹部の誰かが登場する。

一通り話を終えたのか、静かになった の髪を、ベルは撫でた。
はゆっくりと息を吸って、吐く。


「ベル、」
「ん?」
「私、そろそろ部屋戻るね。 ……ありがと」


その瞬間、ベルは直感した。

はそっとベルから離れて、ドアの方へと歩き出す。部屋から出ようとする彼女を、ベルの声が引き留めた。


「殺してやろーか?」


はドアノブに手をかけたままぴたりと静止する。
ベルの声が、嫌に大きく響く。


「死ぬ気だろ、お前」


はゆっくりと振り向いて、口元にいままでで一番綺麗な弧を描いた。



*




「理由は、あんのか」


赤い目が、ベルを見据えている。
XANXUSの突き刺すような視線に思わず顔を背けてしまいそうになりながら、彼は短く答えた。


「ムカついたから」
「……そうか」


質問は、ただそれだけだった。
それ以上聞く気がないのか、XANXUSは椅子に深く腰掛け直す。
隣で話を聞いていたスクアーロが、黙り込んだXANXUSの代わりに続ける。ベルを見るその目に滲む感情は呆れか、それとも軽蔑か。


「殺すほどの事だったのかぁ」
「いーや別に」


ベルの返答を聞いて、スクアーロは眉間に深いシワを刻む。
彼が再び口を開こうとした所で、ベルは体の向きを変えた。


「説教はいいよ、うぜーから」


もうなにも聞かない。そう言うように、ベルは耳を塞いで見せた。
まだ話は終わってない、そう言いかけたスクアーロを、XANXUSが手で制止する。ベルは振り返る事もなく部屋を後にした。

ベルの言動がどうも腑に落ちないのか、スクアーロはまだ眉間にしわを寄せたままだ。


昨晩、一番最初に二人を見つけたのはスクアーロだった。
普段使っていない部屋から気配がして、彼はその扉に手をかけた。

血だ、血の臭いがする。
暗い室内にいたのは、座り込んでじっと動かないベルと、横たわる人間。
またベルの悪癖が出た。と、初めはその程度に考えていた。近づいて横たわる人間の顔を見るまでは。

スクアーロがどんな言葉を吐いても、ベルは何も言わなかった。
事情を聞くのを諦め、横たわる に触れようとスクアーロは手を伸ばした。希望はゼロに近い。けれどこれがたった今起きたことならば、あるいは、まだ。
スクアーロが伸ばした手を、ベルは掴んで止めた。


「触んな」


小さな、けれど非常に鋭い声。


「無駄だよ、もう死んでる」


後片付けはオレがやるから。そう続けたベルは、血に濡れた を抱き抱えて、部屋を出ていった。

スクアーロは、あの部屋で何が起こったのかを知らない。
ベルがなにも言わないからだ。けれどあの時の彼の様子からして単なる私闘ではない事は明らかで、だからこそスクアーロの表情は、強張ったままだ。





気がつくと、ベルは の部屋の前にいた。
鍵のかかっていないドアを開いて、中に入る。 の匂いを感じながら、ぼんやりと考えた。この匂いもそのうち消えていくのか。
ベルは部屋を見回してみた。物の少ない、殺風景でつまらない部屋だと思っていたが、こうしてみると気付くことがある。
生活感のない部屋だということが印象に強すぎて、今まで気付かなかっただけで、こうしてみるとそこまで極端に物がないというわけではないようだ。

デスクの上には書類の束が、すべて書き終わった状態で綺麗に整理されていた。
以前、気に入っていると言っていた本が、本棚で横になり薄く埃を被っている。
バルコニーには小さな植木鉢が三つ、そのうちの一つが芽を出していた。
ドレッサーの周辺が妙に綺麗にされており、そこには、何年前かの彼女の誕生日にベルが気まぐれでプレゼントした髪飾りが、ブレスレットが、ネックレスが、まるで商品の様に並べられていた。

頼めば、ボスはこの部屋を の部屋として残しておいてくれるだろうか。 以外の誰かが、この部屋を使っている所を想像すると、どうしようもなく腹が立った。

ブーツを履いたまま、 のベッドに寝転がる。
怒る相手はいない。





気の抜けた声で、ベルは彼女の名を呼んでみた。普段話しかける時と同じように。返事が返ってくることはない。
白い天井だけが、目に映っている。
何気なくポケットに手を入れたところで、ベルはようやくその存在を思い出した。手のひらに収まるくらいの小さな黒い箱。 に渡す筈だったそれを取り出して、眺める。
カーテンの隙間から漏れた光に当たると、中の指輪はきらきらと眩しく光った。

昨日、あの時、もしくはそれ以前に渡すことができたなら、彼女は今でも此処にいただろうか。
考えても無駄な事はわかっている。 はもういない。
彼女が死ぬ瞬間も、彼はすぐ傍で見ていたのだ。肉を引き裂く感触も、まだその手に残っている。彼女は死んだ。ベルが殺した。

決して後悔をしているわけではない。これで は苦しみから解放されたのだ。これ以上の幸せは、どこを探してもきっと見つからなかっただろう。
けれど考えずにはいられなかった。


いつまで経っても、人を殺すことに慣れる事が出来なかった
ベルはそんな彼女を弱いと思っていたし、事実彼女はその弱さのために自ら死を選んだ。

けれど彼女のそんな弱い面を知っているのは彼だけで、他の人間は知る必要もないのだ。いままでも、これからも。


弱メリー



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